先日の日記は遠く10月20日。あの頃、夏日から一気に深秋と書いたけど、その後すぐに冬の気温まで急降下した。短い秋だった…。日本にはもう本当に、夏と冬しかなくなったかと思う。春は、まあまだあるかな。
最近仕事がかなりきつくて、特に先日の金曜日は週末の土日にずっと精神的に苦しまされるほどにひどい地獄だったし、恐らくこの余波は少なくとも半年は続いてしまう…かもしれない。そうでもないかもしれないけど。でも個人的にはかなり堪えた。もうあんな環境では本当にやってられない。
そんな訳でまた転職を考え始める…気力が湧き始めたのはやっと日曜日の日が変わって月曜日になった頃。微熱も出るしずっとだるくて眠いし、そもそも毎晩夜中だったから体力的な問題かもしれないけど、かなり精神的に辛かった。どんなときでもずっとそのことを考えたりして。
週末はそれでも、土曜日は予定があり(何故か消えたけど)天気が良くて洗濯しまくったり、日曜日はマンション管理組合理事会があったり、それなりに色々やることやったりしたけど、なかなか完全に気を紛らわせるには至らなかった。日曜日の夕方に少し相方さんと買い物ついでに散歩したのは良かったけど。
本当は他に色々やろうと思ったんだけど、それ以外は網戸交換の見積もりに対して発注したり、相方さん被扶養者手続きの続きしたり、某会の忘年会計画して店探ししたり、某FIESTAのデータベースメンテナンスとかしたり…程度。もっと色々やりたかったけど、全く何もやる気が起きなかった。でも沢山寝たし、そのお陰で多少落ち着いたから良かったかも。
全部詳細には無理だけど、こうやって少しでも書くことでもちょっと落ち着くかもしれない。
そう考えると、詩人の吉原幸子さんの「自戒」という詩の一節を思い出してしまう。
死にたいと書くことで
死なないですむのなら詩はクスリみたいな役に立つ
けれどその調子で生きるかはりに書いてはいけない
愛するかはりに書いてはいけない
改行その他形式は改変してしまったけど。
それはそうと、以前ちょっと思い出して電話加入権のことを調べ直したことがあった。
最近目にすることが殆どなくなった電話加入権という言葉は、それを見るたびに、亡父のことを思い出す
まだちょっとは価値があった頃に譲り受けたものをずっと使っていて失いたくないというのと、更に光回線とは別にすることで冗長性を確保したい(しかも電気が途絶えても機種によっては使える)という理由で、光電話にはしていない。
もし光回線にする場合、休止状態にしないと消えてしまうというだけでなく、NTT 東日本の場合は数年で勝手に切られたりするとか気にしないといけないらしい。
そう言えば、網戸交換発注の時にいつもなら電卓アプリや Excel でやるんだけど突然電卓を出してきてしまったんだけど、それが大学生の頃に買った奴。
Canon F-602 という関数電卓なんだけど、一度も電池を交換せず未だに使えているんだけど、一体どうなってんだ。
https://calculator.org/calculators/Canon_F-602.html によると1990年発売らしいので、30年近く経ってる!?
ソーラーでもないし単なるボタン電池なんだろうけど、劣化もせずに使えるものなの??
背面ねじ留めだから開いたことないんだけど、そもそも交換できるんだろうか
いつもたまに使ってみる度に、いつ電池が使えなくなるんだと思ってるんだけど、いつでも使えるので、愛着が湧きすぎてしまって困る。
昔の製品だからなのかなあ。凄いことだよね!
ニュースは溜まりすぎてるけど、いつか、また。