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2020/03/23 01:51:35 今日の一言: (( 祖母の帰天と3連休と花見 / 品薄 / 買い換え ))
今年の3月14日(土曜日)は、それまでの小春日和から一転して気温が下がり始め上空の大気が冷えていたのか、季節外れの雪が降った。
大粒の雪が降り、地表に向かって大急ぎで落ちてくる。地表はまだ暖かく積もる気配もなく、雪はほどなくみぞれとなり、雨となった。
このまま雨で終わるかと思っていたのが、地表も冷めてきたのか、その後また雪が降り続いた。
ホワイトデーに雪ということで、世間は騒いでいた。雪は流石に積もることはなかったけれども。
先日の3月10日の火曜日は、ここ数日寝たきりになってしまい重篤な状態に陥ったという102歳を迎えたばかりの祖母の容態を確認するため、急遽調整して午後イチぎりぎりまでの仕事を終えて某所に向かった。着いたのは夕方過ぎだった。つい少し前までは耳は遠くても元気に笑い沢山話をし沢山食べて記憶も確かでとても超高齢者とは思えない様子だったのに、寝かされていて、時折ひどい痛みに苦しみながら流動食のみを口にし、本当にたまにこちらに気付くのかうっすら目を開けて口を開けて何かを言おうとしてくれるその姿はもう別人のようだった。とはいえ、腕を取るとしっかりしているし、血圧なども十分すぎるくらいでバイタル的に問題は感じられなかった。生きる力を感じることができた。
そのたった4日後。季節外れの雪が降ったその日の深夜。日付が変わった直後、息をしていないところを叔母が発見したという。ひっそりと、祖母は亡くなった。
痛みに耐えた数週間を思えば、何とか痛みからの解放を願っていたのでとても複雑な気分ではあるけど、少しほっとした。
祖母の夫である祖父は32年ちょっと前に亡くなり、祖母の息子である父は16年前に亡くなり、今頃は3人で再集結していることだろう(父は信者ではなかったけれど…)。信者にとって死は帰天、神の国に入るというポジティブなこと。とても複雑な気持ちもあるけど、喜んであげたい。ただ残された人達、特に叔母夫婦のことを思うと辛いのだけれど。
3月11日から暫く祖母の所属するカトリック教会の世話役の方と連絡を取り合い今後の進め方を確認しつつ、親戚関係者と最低限決めるべきことを決めてきた。そして3月15日の日曜日、午後にその所属する教会に向かい、神父さんを含む沢山の教会関係者や親戚、葬儀会社と打ち合わせ。色々な人達がいたのでまずは自己紹介から始めさせて貰ったり、事前に色々調べたり話をしたりしていたけど話を聞いても多くのことが余りにあやふやだったので用意しておいた沢山の手続きや式次第について確認を行ったり、今回は色々日程調整や手続きも難しく亡父の相続の際に使用した書類なども使いつつ葬儀社の方と何とか書類を完成させたり、3時間以上掛かってしまった。でも、祖母の本名とかを含めてあれだけ沢山の問題があったこと、不明点だらけだったことを考えると、やはり自分が行って良かった。
祖母の息子である自分の父は既になく、数年前に祖母からは喪主を務めるようにお願いされていたのだが、正直カトリックの葬儀は殆ど経験がなくしかも喪主となるとやることも多く(最初はそれすらも分からない状態)、暫く会社は忌引きで休んだのだけどそれでもかなり厳しかった。仕事はぎりぎり自分がいないと出来ないことを直前に終わらせていたので、忌引きの数日は皆がそれで耐えてくれたので良かった。
忌引きとなった16日からの3日間、まずは葬儀の準備、そして17日の火曜日に葬儀ミサと火葬、翌日はちょっとうちの場合色々と事情のある墓について2カ所と連絡したりその他事後処理など。あっという間だった。
葬儀ミサ当日は早朝から葬儀と火葬が終わり、その後ちょっとしたごたごたが終わり、皆で車で帰るまで本当に本当に忙しくて一瞬で過ぎてしまった。
細かいことを業者と打ち合わせ、教会の方に色々教わったり尋ねながら参列者からの質問に答えたり依頼したり始まる直前までせわしなく動き回り、ミサが始まってまもなく壇上に上がって聖句を詠むまで気持ちが落ち着くことはなかった。その後予定通りに進行し、(信者ではないので)祝福をいただき、淀みながらも挨拶を終え、献花をしたり副葬品を添えながらお別れをし、受付のお願いをし、遺影を持って教会の外へ出てから一旦戻って奏者の方にお礼をし、皆をバスに乗せてから霊柩車で火葬場へ。
道中、業者の方からは喋りや進行その他色々上手いのでそういう仕事なのかと聞かれたりしたけど、色々調べたものの直前まで分からないことだらけでとにかく必死だったのでちゃんと出来ていたのなら良かったと思った。参列された方々も良い人ばかりだったし、故人にとっても良い式になったのならそれが最大の慰めになる。その後、教会のある地域では工場が近くになるのでブラジル系やフィリピン系の信者が(プロテスタントとカトリックの教会を適当に行き来しているという驚愕の情報と共に)葬儀中に喧嘩になって信者の方が仲裁に入ったり、新型コロナなどの影響もあって葬儀は帰国してやることになり大使館から出るはずの金が出ないとなって大使館に泊まり込みで金が出るのを待つとか色々と大変な話を聞きながら、火葬場に到着。
最後の告別の場で神父さんに祈りの言葉を頂き、本当に最後のお別れ。全員で控え室に行って軽く食事。少し皆も緊張から解放された瞬間。自分は途中何度か抜けて書類の申請とか遺骨確認とか色々やったけど、それだけでなく時間はあっという間だった。
全てが終わり、全員バスで教会に。その後ちょっとしたトラブルがあったけど、無事にすべて終了。
とても長い1週間だったし、とても短い1週間、そして1日だった。
翌日も色々やることがあったし、これからもまだ続く。
仕事は19日の木曜日1日だけ出て、そこから3連休に入った。復帰の仕事場は突然の修羅場できつく帰りも遅くなったので、連休初日はとにかく休み。珍しくゲームしたりもしたけど、殆どはだらだらしてた…。
それにしても雪の降った翌日から一気に春めいてきたけど、連休に入ってから極端に暑くなり、体がついて行けない。春というよりもう初夏のようだ。
2日目は、原宿へ前日に営業終了した旧駅舎とこの日から営業の始まった新駅舎を見に出掛けた。懐かしい旧駅舎はそのたたずまいはそのままで、その入り口が開くことはもうなかった。新駅舎に繋がる通路をふと振り返ると古くて狭い通路が見えたし、新駅舎の方からは旧駅舎を裏から見ることが出来た。化粧品のお店を回ってから、竹下通りへ。新型コロナの影響だろうか、いつもよりずっと人は少なかったけど、お店は普通にやってたし、YouTuber らしき若者達が街角アンケートなんてやってたり、世界はあんまり変わっていなかった。
HUB で昼間から飲んでから歩いて渋谷に行き、相方さんが行きたがっていた LOFT では例のワニの入場整理券が終わっていて、最後にパルコに行って6階をぶらっと見回り地下の変わったバーで一杯飲んだ。地元に戻り、少し買い物をしてから、相方さんが行きたがっていた焼き肉屋で、苦しくなるほど食べて帰宅して、寝た。夜中に目が覚め、部屋の片付けの続きとかやってたら明け方近く。良い1日だけど、健康的ではなかったなあ。
3日目は、無料開放しているという新宿御苑に花見に行ってきた。てっきり新型コロナの影響で閉鎖しているのかと思いきや、まさかの無料開放。しかも人出は例年よりずっとずっと少なく、園内はとても快適だった。桜はまだ満開ではなかったけど、咲いているところはとても綺麗で可愛くて、昨年とかと違って突き抜ける青空と花びらのコントラストは最高に美しかった。いつものように超混雑でないので、あちこち歩いて楽しめた。みんなと来られたら良いのだけど、この時節柄、難しいよなあ。
その後ちょっと高いバーで一杯飲み、いつもの例のお店であらゆる値引きを駆使して買い物。2万円が7千円未満になってしまった! そして食事をして帰宅。強烈な眠気で軽く寝て起きて…明日からはまた仕事。厳しい。
お墓関連のこととかまだやることがあるのだけど、すぐには出来ないので、またタイミングを見て親の家に行ったりしてからまとめてやることにする。
連休のお陰で、だいぶリフレッシュできた。もう少し身体を休められれば良かったけど、気分転換できたのは良かった。
2月27日(木)、とあるデマなどが発端でトイレットペーパーが突如店頭から消えていくという事態が起こり始めた…らしい。
会社から帰るときに相方さんから連絡があり、薬局に行く。トイレットペーパーは数多く積まれていて特に問題はなさそうだったけど、自宅在庫も潤沢ではないので念のため少し買っておいた。その後スーパーも覗いてみたけど、うなるほど大量に積まれていて、当分は問題なさそうだった。トイレットペーパーがなくなるなんて、1973年のオイルショックではあるまいし、この情報の豊富な現代でそんなことある訳がないと思った。
その翌日、スーパーや薬局からトイレットペーパーが消え、同時にパスタやインスタント食品を初めとする多くの食料が店頭から消えた。程なくしてティッシュペーパーやらクッキングペーパーまでもが消えていった。
あれから3週間が経ち、店頭にはマスクや消毒関連製品だけでなく、トイレットペーパーをはじめとする殆どの紙製品が戻らない。しかも遂に生理用品まで品薄傾向が出て来た。
紙製品の在庫がメーカー側に潤沢であることは疑いようのない事実だけど、買い占めや買いだめ、転売が横行して、流通が追いつかないのが実情のようだ。開店早々の行列が少ない店頭在庫を一気に買い占めている、しかも高齢者が多いという話も見聞きする。
不安が大きいのも理解するけど、店頭の張り紙も色々あって不安を煽るようなものがあるのが問題のひとつである気もする。メディアの取り上げ方も同様だ。
そして4週間が経とうというこの頃になって、やっと少しティッシュペーパーなどが店頭に戻りつつあるのを感じる。百均やスーパーに在庫を見ることがあり、また薬局にも一部あることもあるようだ。自宅在庫も気になり始めた頃で、早く店頭在庫が増えてくれると良いと思うのだけど…。
新型コロナの影響は世界経済をリーマン以上の不況に追いやり始めているだけでなく、身近なところでも色々と影響を感じる。
客商売の店などではそれが顕著で、先日はマッサージ店で入店の際に検温、アンケート、署名などが必須になっていた。店側もリスクがあるし、当然のことだろう。色々な変化は感じていたけど、直接こういう体験をしたのはちょっとした衝撃だった。
個人的には会社でテレワーク推奨になったことと、祖母の件があったので、1週間くらいテレワークをして運動不足に陥ったりということもあったけど、多分世の中の多くの人ほどの影響は受けていないと思う。無論、これからなのだろうとは思うけど…。
良いことと言えば、親類縁者、友人知人に新型コロナに感染したり重症化したという話がないことで、それは本当に良かった。今回の国内での重症化率を考えるとそんなに気にすることはない筈なのだけど、こればかりは運任せなので、弱っている人が罹患しないことを祈るばかり。
それにしても…たまに道とかにマスクが落ちているのは何故…? 自分はマスクはしない派だけど、そういうの関係なく理解できない。汗。
大昔自分が高校入学のときに親に買って貰ったヤマハのポータートーンが遂に殆ど音が出なくなった。20万円はしたというのに親も買ってくれたのを忘れているし、自分も結局殆ど弾けずじまいだったのだけど、2万円程度の新品に買い換えてみた。
古いものは DSR-2000 というもので、新しく買ったのは PSR-E363。だいぶ違うけど、ピアノの音色は多少マシになったのか…。いずれにしても、全く弾けないし、もう楽譜すら殆ど読めなくなったので、滅茶苦茶ゼロからやらないと…。
でも練習する暇がない。ちゃんと暇を作らないと。
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