人類の歴史など一瞬の出来事に過ぎないというのに、更にその中の一瞬にも満たない刹那の刻の中で蜻蛉のように儚い生を受けて漂い生きる自分にとって、進化論が言うところの突然変異と適者生存による適応進化といったものが本当に今の人類を生み出したのか、とても確信が持てない。
生命の神秘を解きほぐすまでもなく、遺伝子情報に狂いさえなければ、生命が個体維持や種族維持をするために必要な臓器やその他各種の機構がその機能を果たすうえで最低限正しい位置や場所に構成され、それらがある程度までの破壊に対してはそれぞれの自己修復機能を以て対処してしまうという、生命として当たり前の事実を目の当たりにすればするほど、これ程までに精巧精緻でありながら柔軟性に富んだ遺伝子の設計を一体全体誰がしたのだろうと考えざるを得ない。
これが全て単細胞生物の時代からあらゆるレベルでの環境変化と突然変異がもたらした偶然の産物とは、普通の神経では考えられない。そう感じるのは、全てにおいて知識のないただの素人であるが故なのだろうか。
とは言え、人類の歴史すら一瞬でしか捉えられない程の悠久の時の流れに於いてはこれも必然なのだろうか…とも思う。そう思うと、とても神秘的で、自分達自身の存在そのものが幻想的なまでにひどくロマンティックに思えてくる。
然し寧ろ、こうしたもの全てのことが、地球上の生命には知覚出来ない別の知的な何某かによって企画され描かれた実体に過ぎないと言われた方がしっくりくる。
それこそが、神なのだろう。
しかし、その神が一体何なのか。人類にとって、それこそが最も知りたいことなのだ。
そして…神のことまで考えたとき、また昔から気になって仕方がない別の疑問が当然のように出て来る。
それは、「物理法則の実装は誰がしたのだ?」ということ。件の「遺伝子の設計は誰がしたのだ?」という疑問と並んで深遠な謎であり、いつかその答えを知りたくて仕方がない真理のひとつだ。
その答えもやはり神ということになってしまう。同じことだ。その神の正体が知りたくて仕方ない。
宇宙、或いはこの世界と称しても良い、この時空間を構成する全ての物理法則は一体誰が作り上げたのか。様々な定数がある。これらの何れかが少しでも違ったら、この世界はまるで別物になっていた筈だ。この数値を決定したのは一体誰なのか。いつ、どこで、何のために?
無論「いつ」「どこで」というのは、飽くまで比喩的表現に過ぎない。実際のところ、時や場所など、この世界の中でも最も低レベルな次元で表されるものに過ぎないのだから…
この世の全てを「設計」「実装」「運用」している「神」の正体をどうしても知りたい。それから…こうした人類の飽くなき欲求が、少しずつ人類の叡智や文化、はたまた健康や平和に寄与していくことを願う