先日京都旅行をしたときに、ひとつ強烈に感じたことがある。
それは、どんな小さな昔ながらの商店でも、如何にも京都を感じさせるにこやかで暖かみのあるお婆ちゃんでも躊躇なく英語を話すということ。日本人観光客を接客していたかと思うと、次の瞬間には外国人旅行客とごく自然に英語で会話している。
す、凄い…!
日本でこんなにグローバルな土地があったなんて。
思えば、街の中にもところどころに英語の案内があるし、駅前ともなると寧ろ英語表記の方が目立っていて日本語の案内が見付からずついそっちを読んでしまう程だ。
京都という観光都市で商魂たくましく生き抜くには英語というツールは必須の技能…ということは間違いないのだろうけど、やはりそこにはそういう下心だけではなく、もてなしの心があり、そのための努力があると感じた。何というか、その自然な接客に、何かしら嫌な感じのする下心は全く感じられなかったのだ。
その心意気、努力には本当に頭が下がる思いだった。
人間どれだけ年を取っても本気になれば何でも出来るのかも知れない…。
見習わなくては………と心底思ってしまった。
英語…というだけではなく、その根底にある心意気を。
もてなしの心を。