何とか朝、冷やし中華(具を乗せるのを忘れてしまい、具は冷凍庫行き…)と(余り冷えてない)冷や奴を作って食べた。
それから出掛ける仕度。何とか3時間程度眠る時間が出来たので、12時頃まで寝た。
起きてから少し食べたり、最後の仕度をしたり、忘れてた家計簿を慌ててつけたりしているうちに、13時。
BGM 音量を上げて気合いを入れて出発。全て「乗換案内」のシミュレーション通りに、ぎりぎりで 13:53 発ののぞみ17号に
乗車。このシミュレーション通りだと、偶然にも適当な予想通り、きっかり17時には西ノ宮に着く筈だ。(14:00 現在)
電車の中で新聞を読んでたら、偶然にも「セカンドオピニオン」の話と、「癌医療」の話が特集で載っていた。
余りにタイムリーな話が2つも載っていたので、真剣に読み耽ってしまった。
セカンドオピニオンについては、ある意味ラッキーだったのかも知れない。早い段階で「うちでは無理」「転院を」と言われ
ていたし、勿論紹介状の話も当初から病院側から出ていた。こういうのは責任逃れとかではなく、逆に出来ないことをはっ
きり言うのが病院側の責任なのであって、そのつもりの有無は別にしても、その辺の責任はしっかり果たしてくれた。その
ことは非常に良かったと、改めて思う。また癌医療の話は、ベストドクターズという米国の作家が自分の体験を元に設立し
た組織のサービスサイトや、米国での臨床研究、そこに生まれたビジネスの話などが書かれていて、非常に興味深かった。
ビジネスの話として読んでも非常に面白いものだったが、今は勿論それ以上の興味がある。当然ながら、今からここを利用
しようとは思っていないし、そう思わざるような状況にならないことだけを祈って、皆が全力を尽くしているところなのだ。
車中ではネットニュース等を暫く読みあさったりしてから、1時間ほど眠ってみた。それから雑誌を少し読み、但し読み残
していたほんの数ページだったので、次に読みかけの「
ものがたりの余白」に手を付けた。これは本当に素晴らしい。読ん
でいて、何度もそう思ってしまった。彼の思索に触れ、且つ彼の友人でもあるという−この本では聞き手となっている−彼
の作品の日本語翻訳者とのやりとりを見ているだけで、殆ど感動してしまう。もし、気紛れにも、この「今日の謎」を読み、
ミヒャエルエンデや彼の作品である「モモ」「果てしない物語」等に心惹かれた覚えのある人や、日常に少しでも真実を見
いだそうと考えている人がいたら、是非この本をお薦めしたいと思う。本当は、ギスギスした大人や、物事の上辺だけで何
でも判断しがちな今時の親や PTA の人達、教育に関わる人達、小さな我が子を持つ親や兎に角何かしら子供に関わることの
ある人達、疲れた人達、絶えず諍いを起こす人達、哲学の中に現実を求める人達、全ての人に読んで欲しいとすら思う…。
→
ものがたりの余白@amazon.co.jp席は丁度3席の真ん中だったけど、名古屋で右隣がいなくなり、京都で左隣がいなくなった。
その代わり、京都でひとりの人が左隣の席に入った。正確にはひとりじゃなくて、ふたりだった。
その人はまだ小さな赤ん坊を連れていた。
それなのにあの狭い席に、ベビーカーやら大荷物を持ち込んで座るどころじゃない。
殆ど荷物に挟まれて狭そうに座る、こっちの PC の画面を物珍しそうに眺める小さな子供が可哀想で、列車が発車したのを
確認してから席を移動してあげたけど…。席がないのは仕方ないけど、小さな子供と大荷物で1席というのは、子供があん
まりに可哀想だと思った。他人の PC の画面を覗こうとする子供の頭をちょこっとはたいてしまうのも、もう少し子供のこ
とを考えれば…などと思ってしまった。
予定通り17時に西ノ宮に着き、迎えの車で病院へ。取り敢えず何事もなさそうで良かった。
夜に親の家に行き、家の中を空っぽにすべく、片付けをしたり、真っ暗な裏の物置に懐中電灯代わりのノート PC 片手に出
向いては蚊の大群に足中を刺されたり。夜は2年振りに、かなりひどい状態でほぼ使い物にならなくなっていた実家 PC を
メンテして少しはまともに動くようにしたりしていた。シャワーを浴びて寝たのが3時頃。前日も寝てないし、病院でも少
し抜け出てはロビーの椅子で仮眠を取ったりしていたけど、とてつもなく眠かった。最後と言うことで家中を開け放ち、寝
る時だけ1階は閉めたけど、それでも荒れ狂わんばかりの風が涼しく、寝やすかった。一時降り出した雨もやんでいた。
翌日の日曜日は眠くて仕方なかった。何とか仕度をしてタクシーを呼んで、病院へ。この家も車も暫くは無人のまま放置す
ることになる。病院に着いてから色々したけど、結局眠くてロビーで仮眠ばかりとってしまった。とは言え、特に大事もな
く、早めに病院を出たら新大阪には1時間半近くも早く着いてしまった。お盆の時期なので道が予想以上に空いていたのが
災い(?)してしまったのだった。車椅子を手配して、暫くは待合室で話をしたりしながら時間を潰す。今後のこと等を話した。
こういう切っ掛けでもないとなかなか話もしない相続やら税金やら家の売買の話やらその他。葬式は密葬を望むとのこと。
17時過ぎ係員が来て、ホームへ。17時半前、のぞみは東京に向けて発車した。グリーン車は揺れがひどくなくて、こういう
時は本当に良い…。20時に東京駅に到着。ホームに手配されていた車椅子に乗せ、車椅子を押す係員についてエレベータを
降りるとそこから改札までは、ゴミや大道具があちこちに置いてある業務員用の裏通路を通っていった…。客をこんなとこ
通すか? 新大阪ではそんなことなかったけどなぁ。
父親が気にするといけないからという理由で、今日は病院その他で、親戚や弟と密か(?)に連絡を取り合っていた。
密かな計画通り、八重洲中央口のタクシー乗り場に着いた時、何とか親戚と連絡を取り、親戚の車に全員が搭乗。
でも本当は本当にタクシーの予定でいたんだけど、どうしても来て頂けるというので…。
相変わらず左ハンドルなんで、父親は右側に座り、リクライニング不要とのことで全員が乗ることになった。
道路は予想以上に空いていて、30分程度で着きそうだった。
途中、大塚駅で自分と伯母が降りて弟を拾う。ホテル前で車組と合流。チェックイン。
諸手続や親戚に持ってきて頂いた癌研入院経験者ならではの持参品の数々の説明を受けたりし、親戚が帰り、21時頃一段落。
体を拭いたり着替えたりして落ち着いたところで、予想もしない東京での家族4人集合となり、久し振りの団欒のひととき。
この時期家族が揃うなんて10年振りとはいかないまでも、もう長いことなかったし、こんなことでもなかったらなかったこと
だろう…。22時過ぎ、両親を残して帰宅。
帰宅してからは殆どやる気がなくて、少し食べてからちょっと息抜きしながらやることやろうとしたんだけど…。
結局1時前に疲れて眠くてダウン。朝も無理矢理起きたけど、眠くてどうにもならない。
次の週末は大学時代の友達と、今度は2年ぶりってことで、店の予約やら何やらもあるし、買い物や洗濯やその他…。
今日は入院手続きが終わって病室で一段落ついたら、昼頃には帰宅しなければ。
それにしても、今回の航空機チケット話で、弟は彼女の父親から3人で話をしなくては…などと言われたとのことで、結婚と
なっても話がスムーズでいいだろう。ただ、余りにアレなんで、弟は婿養子にでもさせようか(謎笑
ニュースはまた今度...。