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2003/12/13 20:38:36 今日の一言: (( … ))
[第 01666 回]
こんな時だというのに、いつもに増して死にたい病がひどくどうにかなりそうで、それでも何とか人前や家族の前では、ごく
普通の人を装うのだけど、それがもう後になってひどく苦痛に感じられて仕方がない。世の中良いことも悪いことも沢山ある
けど、そのどれもが辛く感じられて、世の中全ての人や事物に自分は生きているべきでないと大挙して口うるさく言われてい
るような幻聴に押し潰される。こんな状態を抜け出すには…もう…。
今日は朝6時前位から起きていて色々とやっていたので、夕方を過ぎるともう眠くなってきた。
天気が良くて洗濯物も午前中でかなり乾くほどに日差しもあって、部屋の中は暑かったが、やはり夜になると冷える。
昼過ぎに病院に着いてから、夕方過ぎまで父親と共にいた。
病院に着くと、既に来ている母親は母親の友達2人が来ていたので別の部屋に3人で話をしていた。
自分も暫くしてから2人に挨拶に行ったり、父親が寝ている時等に少し話に行ったりした。
夕方前に2人は帰り、それから母親と自分はずっと父親のベッドの脇にいた。
色々話したりしたけど、状態としては余り昨日と変わっていない。やや熱があるくらいか。
もうこの先、少なくとも1〜2ヶ月はものも食べられないし、飲むことも出来ない。薬も飲めない。
今日も氷を含ませてやるのが精一杯だった。
母親も脳の手術から退院直後で、余り調子が良い筈もなく、夕方過ぎに一緒に外食して帰宅。
ずっと病院食だったから、こういう外食は精神的にも良いと思う。ただ無理してるのかだいぶ疲れが見えたのがやや心配。
帰宅するともう眠かったけど、まだやることはあるし、荷物は届くしで、まだ眠れない。
でも今日も早く寝たいと思う。とにかく疲れた。
それはそうと、もう本当に死にたいと思うのだけど、流石に今の母親と弟だけ残して死ぬのは余りにも心配で忍びない。
でももういい加減にこの世から逃げ出したいと思うのだ。この世から逃げ出せれば、別に死ぬ必要もない。
もっと何もかも価値観の違う、もっとまともな世界があれば。或いはもっと時代が違えば。
結局自分はこの世界に、この時代に適合できなかった。
ニュース・
3100万円「私のでは」 行田署に問い合わせ電話数件 真偽は確かめようないけど、取り敢えず盗難届があるかないかくらいは分かる筈かと…
・
「原爆被害も展示を」と被爆者訴え エノラ・ゲイ展示で 多分、この責任者のこれまでの発言とか聞いていると、多分もう何を言っても無駄っぽい…
・
格安CD逆輸入、規制めぐり激論 業界と消費者団体対立 じゃあ、何で日本だけこんなに高いのかちゃんと説明して、それなりの特典なり何なり用意して欲しいところ。それをまた
CCCD とかそういう消費者を疑うだけのような仕打ちばかり考えて、何も消費者にとっていいことない。そんなのばっかで
いいのか…ってこと、考えるべきだと思うけどね
・
ソニーと独ベルテルスマン、音楽事業合弁で正式調印 やっぱり、こうなった。BMG ビクターとかどーなるんだろ (??)
はぁ…。眠りたい
2003/12/13 11:02:51 今日の一言: (( 母の動脈瘤 (脳) の次は父の静脈瘤 (+胆管末期癌)、そして… ))
[第 01665 回]
別プロジェクトから引き抜きがかかる…; 部下も沢山与えて待遇良くしてやるから…とかって言われても…。
上同士で何とか調整して下さい…としか。取り敢えず、もうあの時みたいのは嫌なんだけど…それも無理そうだ…;
そして、今週は信じられない連絡から全てが始まった。
本当は次の週末、皆が集まるということも考えていたのに。
例の貰ったブツ、渡すタイミングを逃したまま、もしかしたらこのまま渡せないかもしれない…。
…その後、何とかギリギリ最悪の状態は脱したかも。ただ、家に帰れる日が来たとしてもそれは数ヶ月後か。
月曜日食べていないので体力が続かなかったが、何とか急いで走って病院に向かった。
19時より前に連絡があったのだが気付かず、最後の連絡に気付いたのが20時前。
緊急事態と言うことで、当然面会時間などは無視して中に入ることが出来る。
既に弟と伯母が看護士に同意書の説明を受けているところだった。
そして直後に父親が検査室に運ばれた。
今日の夕方、父は伯母との電話を終えた直後、いつもの気持ち悪さが悪化したのかトイレで無理矢理吐こうとしたらしい。
その時、何か食べ物のかけらのようなものと一緒に血がかなりの量出て来たので、自分で病院に連絡を取ったようだ。
その連絡は入院中の母の元に届き、母から伯母や弟、自分に、父が血を吐いて入院というメールが届いた。それが18時半前後。
30分前くらいに電話をしたばかりだった伯母が父に電話をすると、普通に受け答えをしていたという。
それから自分で入院の準備や着替えをして癌研に向かったところに、弟と伯母があわせるように行ってくれていた。
一番気にしていたのは出血個所だったが、内視鏡検査の結果は、予想より良くなかった。
丁度食道と胃とが繋がる部分の辺りで、数筋の静脈瘤が走っていて、そのうちの1本から出血していた。
洗い流して分かったといって、数点の写真を見せて貰いながら説明を受けた。(瘤が白いのはマシな方らしい (Web 情報))
その場の措置として、出血部位を吸い上げるようにして首になったところをリング状に縛るようにして止血がされていた。
応急処置としては良いが、静脈瘤は門脈を這うようにしているので無数にあり別の部位から出血する可能性もある上に、今回
の処置により別の瘤に圧力がいって出血する可能性もない訳ではない。瘤は分散するだろうが、簡単に安心は出来ない。
そもそも、余命半年と宣告されてから1年半が経つが、1年半前にはそのような静脈瘤は皆無だったという。またこのような
静脈瘤は肝硬変等の症状に付随して起こりやすいという。病巣は肝硬変ではなく癌であるが、それが徐々に門脈を圧迫させて
いった結果がそういった瘤を生んだのだろう。思えば最近気持ち悪く食欲がないというのは、食道内の出血で血液が徐々に溜
まっていったのが原因なのだろう。それが吐こうとした時に固まって出て来たのではないかと思う。気持ち悪いという症状か
ら、まさか静脈瘤の出血が原因とまでは全く思い至らなかった。
奇跡的に運が良いことに主治医が対応に当たってくれたのだが、癌研ではそういった患部の手術に関して専門のチームがない
ということで、明日にでも (殆どの医者がいないとのことでかなり無理をしてくれそうだが) 幾つかの病院を当たって転院先
を決められたら決めて貰い、早い内に転院をするということになった。
検査から出て来た父は、安定剤により殆ど眠った状態になっていて声を掛けることも出来なかったが、その姿は少し前よりも
更に尚、黄疸の症状が強く出ているように見えた。動注の効果もあって、元々の癌はやや小さくなっているというが、肝臓内
での転移は進んでいるという。そのことで正常な細胞が減ってきている分、肝機能が衰えた結果、更に他の要因が重なって、
ますます黄疸の原因が増えてしまっている。
転院しての入院となると、短くても3週間というから、年末を予定していた動注のタイミングは少なくとも来年となる。或い
は体力も考えると1月中に出来るかどうかさえ、怪しい。しかしタイミングが遅れれば遅れるほど、本来の末期癌そのものの
進行が早まってしまう。決して諦める訳ではないが治療の限界が近づいているのは確かだと身内の誰もが信頼する主治医は言
うが、こうなっては実感せざるを得ない。
正に、最後の最後になって敵が援軍を呼んできたという気分だ。
母の方は、明後日が退院の予定になっているが、明日外出許可が下りるからどうしても会いに行きたいという。
皆で話し合った結果、弟を寄越して一緒に移動するということになった。
今晩は緊急入院だったこともあり何とかベッドがあるが、明日からベッドが1泊5万円という一番良い個室しかないとのこと
で移動することになるが、母も今のような大部屋よりも個室の方が良いだろうということもあった。
明日転院先が決まれば良いが、それはまだはっきりせず、また明日転院ということもないだろうということだった。
転院先候補は、日大か東邦 (大森) だろうというが、それは明日以降にならないと何も分からない。
緊急事態なので親族の誰かが病院の近くにいて欲しいということで、明日休日の弟が急遽ホテルに泊まることになった。
また翌日は弟だけでなく、(祖母の状態も気になるのだが) 伯母が病院に行ってくれることになった。
母の送り迎えなどの細かい話は翌日として、大まかなスケジュールだけ決め、自分は翌日通常通り出社していざという時の為
に待機ということにした。弟は今週、火水が休みになるので、問題は木曜日以降。母親の退院もあるので、状況に応じて動け
るようにだけはしておく。既に一部の直属上司と、更に上の方には全て伝えてある (ある意味昨年から言ってあるが) ので、
いざとなれば動くことは可能な筈。今日も最後の連絡を受けた時は、後輩の指導中だったが、最後はさっと見るだけ見て飛び
出て行ったが、何とかなるだろう。
とにかく、当面の危機は去ったが、まだまだ深刻な状況が待ち受けていることには違いがない。年末年始が、昨年夏に続く次
の山になるかもしれない。せめてこのまままた入院生活ばかりにならず、家に戻れると良いのだが。そして、せめて年末年始
は家にいられると良いのだが。
日曜日は父親と、今週末は母親の退院祝いも兼ねて…のような話をしたばかりだっただけに、まさかという思いだった。
2人と別れて、0時過ぎに帰宅すると、どっと疲れが出た。そもそも体調も良くなく早く帰宅するつもりだったのだ。
それでもまだ、帰宅できただけでも良かったのだろう。
火曜日朝、緊急連絡先としている弟の携帯が恐らく過充電が原因で壊れてしまうというアクシデントから1日が始まった。
取り敢えず、父親は夜中中ずっと寝ていて、特に何事もなかったそうだ。
昨日入院の時点では意識もはっきりしていて、吐血の症状とやや弱っていること以外に目立った問題もなかったそうだが、昨
晩検査と処置から戻ってきて薬で眠っている姿は、ぐっすり眠っているというよりちょっとつらそうに寝ている時のような表
情だったのが、寝ていても疲れるのではないかと心配になる。
とにかく出勤前から色々あったが、連絡体制変更だけして (ナースステーションへの最後の連絡は弟が担当) 自分は出勤。
弟の携帯は DoCoMo ショップにて無事復活を果たし、伯母も病院に向かってくれ、日中は特に何もなく過ぎ行きた。
そして夕方に会社を抜け癌研に行ったところ、状況が変わったことで主治医の説明がある丁度直前に到着。弟だけがいた。
ある程度は事前に聞いていたが、結論としては肝機能の悪化が著しく、転院しての手術等全く考えられないという状態である
とのことだった。肝不全により肝性昏睡の状態であるといい、検査の数値も前回の結果から格段に悪化しているのが分かる。
とにかく肝不全を示す数値はことごとく悪化している。必要な物質が生成されず、且つフィルターとしての役目も劣化してい
る状態で、体が必要な全てを供給しきれていない。更にここ数ヶ月で1未満から徐々に上がっていたビリルビン値が前回検査
で3を超えてしまっていたというのに、今回の検査ではその倍以上の値を示している。道理で黄疸の症状がひどく感じられた
筈だ…。昨年夏を思い出してしまい、かなり愕然とする。
肝機能悪化によって生成されない物質などを点滴で補充しつつ肝臓への負担を和らげながら様子を見て、肝硬変患者の場合だ
と1割程度しか快方に向かわないと言うが、とにかく肝機能の快復を待つしかない。しかし徐々に良くなるのか悪くなるのか、
それはおよそ2週間後になって分かると言い、それまでは何とも分からず、とにかく祈るしかない。非常に危険な状態である
ことには違いがなく、このままでは転院して静脈瘤の手術を待たずして命を落とすという可能性も十分に高い差し迫った状態
にある。それに仮に肝機能が奇跡的に回復して静脈瘤の手術を受けられるとなってもそれは来年のことになるだろうし、体力
的にかなり心配だ。そしてそれをクリアして漸く、本来する予定だった動注を行うということになる。しかし果たして、そこ
まで体力気力共にもつのだろうか…。
一通りの説明を受けて、父親のベッド (大部屋のままで確保してくれたようだ。翌日以降については不明) に行く。
カーテンを開けると、ベッドの上で半身起きあがって、いつも日記や記録をつけている分厚いノートを開いて何か書いていた。
驚いて声を掛けるとこちらに気付いたようだったが、そこに書いてある文字は指に力が入らないのか殆ど薄くて読めるもので
はなかった。そして暫く書いていたようだったのに、1行程度しか書かれていないようだった。自分の腕時計を見て時間を知
ろうとしていたので、時間を教えてやるとそれをノートに書こうとしている。書こうとしているのだけど、現在時刻すら書け
ないのだった。
昨晩は安定剤が効きすぎてぼうっとしているようだとの話だったが、今は完全に違う。軽い昏睡状態手前といった感じで、殆
ど意識障害を起こしている風に見える。
色々書こうとするのに自分で書いていて支離滅裂で訳が分からないと呟いて、ノートはまた枕横に置いて、横になった。
それから自分のことや母親のこと、或いは弟のことなど、相変わらずいつものように色々と他人のことばかり気を遣うような
ことを言おうとするのだが、どうにも言いたいことをうまく言えないようで、しかも記憶が飛びかけているのか意識が混濁し
かけているのか母親の退院日程や弟の居場所 (実際には一緒にいる) について記憶や状況把握が間違っている。そして呟くよ
うな喋り方になってしまい、殆どこうしなきゃという意志と気力だけで喋っているようなものだ。
暫く相づちを打ったり、軽く話をしたりもしていたが、これ以上頭を使ったり喋ったりというのは、もうそれだけで体に負担
と思い、とにかく寝せることにした。半分意識も飛んでいるようで、布団を掛けてやって暫くすると殆ど寝てしまった。話の
中で、眠くて眠くて寝てしまうと言っていたが、とにかく体が休息を欲しているのだろう。とにかく起きているだけで疲労が
溜まるのだと思う。肝機能の低下がここまでの影響を及ぼしているとは、想像以上だった。
朦朧とした表情で何とか喋ろうとする父の黄色い顔は、何とも不憫で、死相すらそこに見えるほどで、誰にも言わなかったが、
父の父である祖父の死に顔がふと脳裏をよぎって、ぐっとくるものがあった。余りそういう風に感情が押し寄せないように制
御しつつ冷静に努めているのだが、その予想以上の父の状態を見ていて、暫く胸が詰まる思いだった。
実は日中、何もなかった訳ではなく、母の実家では祖父がひとりで散歩をしていて転んで頭から出血があったという事故が発
生していた。こんな時に、祖父も当然だが、とにかく祖母が気になった。そこで伯母は慌てて帰宅してそっちの対応に向かっ
たとのことだった。結果としてそれほど大したことはなく、また翌日はヘルパーを呼んだので伯母はまたこちらの対応にも来
て下さるということになったのだった。
夜、最後に看護婦が父に解熱の点滴や氷枕を用意したりが終わったところで病院を出て、弟と2人で食事をして帰宅した。
明日は母親の退院なので、その為に弟は自宅 (今では両親の家がそれに当たる) に戻って準備をしなくてはならないのだが、
いつもは両親、或いは父と母のどちらかがいる、でも今は誰もいないその家に帰るのを非常に恐れている様子だった。
今回の主治医による、今度こそ覚悟が必要かもしれないという説明と父親の状態を目の当たりにして、相当ショックだったの
だろう。食事も喉を通らない様子で、その状態であの家に帰りたくないというのも分からなくはなかった。
明日の予定としては、弟が母の退院に母の入院する病院に向かい、伯母が癌研の方にまず向かう。そして弟と母親が2人して
癌研に行くということになっているが、詳細はまた。
弟が帰宅すると、台所には水に浸したままの米、そして母親の退院手続きの為に通帳が用意されていて「これを渡しておいて
くれ」と書かれた書き置きがあったという。書き置きは、何も出来なくてごめんと締めくくられていたらしいが、何ともあの
人らしい。
しかし、静脈瘤だけではなく更に新たな敵が現れるとは…。流石に言葉もない。まずは肝機能の安定が先決となった。
水曜日ここのところ余り体調が良くなかったのに若干無理したせいか、夕方過ぎ突然腹を壊した。何故か月曜日からこっち耐えて来
られたのに、また突然先週末に戻った。病院には、退院したばかりの母親を入院先から直接弟が連れて来て昼頃に向かった。
また伯母も朝から向かってくれた。伯母が病院に着いたとき、父は起きていて何かを書いていたらしい。母親と弟が面会した
時は眠ったりもしていたようだけど、これまでよりかは意識が戻ってきているようだったらしい。
夕方にまた主治医の説明があって、それは3人で聞いてくれたという。ただ、ビリルビンの値が前日ですら 6.8 もあったのに
この日の検査では 7.3 にまで上がっていたという…。この数字が語る現実が、いやに重くのしかかる。
自分は少しでも仕事を前倒しにする為に少しだけ残業をして、そのまま帰宅。
妙に疲れた気分だったが、たまった日記を少しずつ片付け始めた。
それにしても…色々な薬を飲み過ぎたせいなのか、その前からのような気もするが、とにかく腹が痛いと言うより重くて気持
ち悪い…。こんな感覚は流石に初めてなので、一体どうすれば良いのか分からない。
とにかく寝ようと思い、やっと寝たのが3時前…。
木曜日朝、PC の付属ソフトウェア&ドライバの最新アップデートに失敗。そのまま出勤。
弟とは連絡が取れないまま、少しだけ残業して帰宅。サポートに連絡して何とか PC は復活。
その後もトラブルまみれでメールが受信できなくなったりとか色々あったけど、今は、まあ、そんなことはどうでも良い。
何かあれば言われなくても真っ先に連絡来る筈だから、連絡はない方が良いのかも知れない…が、気になって仕方がない。
時間も中途半端で、余り変な時間に行っても、病院も父親もどちらも迷惑になるだけだろうし、今はもう任せるしかない。
そして何とか弟と連絡が取れた。
ここ数日では一番元気そうだったらしい。起きあがって新聞も読んだりしていたんだとか。
良かった。。。
本当は、本来肝臓が作り出すアルブミンだの何だのを点滴で補給してそれで元気になっている分、それを肝機能回復の方に振
り向けて欲しいなぁ…なんて思うけど、それでも本人の状態が良くなってきているというのは嬉しいことだ。
但しまだ元気になっていっているというのも肝不全が解消されてきているということではない訳だし、結局この日は血液検査
もされなかったとのことで、実際の状態は分からない。まだまだ安心は出来ない。でもかなり安心した…いや、ほっとした。
ただ口の中が気持ち悪いのか乾いてしまうのか、水分が欲しいらしく、また熱があるせいか氷も欲しい様子という。水分は原
則禁止のようで、小さい氷も量が限定されているのだという。食事だけでなく水分も制限されるというのはつらいな。。
それから伯母や、結局退院直後で翌日ひとりで電車に乗ったりも危険ということや疲れているということもあってホテルに泊
まることになった母らと電話で今日のことや明日のことについて話をしたりした。
一応、明日は早めに会社を出て、癌研に向かう予定。出来れば採血の結果を含む現状の話を主治医から直接聞いておきたい。
安心したら寝てしまった。気付くと朝だった。日記は殆ど書けていない。
金曜日仕事を早めに切り上げて病院に行った。
本当は医師の話を聞いて、母親と一緒に途中まで帰るつもりだったのだが、医師の話がだいぶ早かったようで、母親は早めに
帰宅するということだった。だから自分が行った時は他に誰もいなかったし、来ないと思っていた父親は吃驚していた。
先日よりは確かに元気そうだったが、やはり余り声は出ないし、先日プレゼントした腕時計が緩くなる程に痩せてしまっていた。
まだまだ安心できる程に元気とはほど遠く、倒れる前とは殆ど別人にすら見える程。たった数日でここまで変わるものなのか。
アルブミンその他各種の点滴は 2000mL と相当な量で、それでも今日の血液検査結果はさほどの変化を見せず、ただ 0.1 だけ
ビリルビンが減っていたということだった。ほんの少しだけでも肝機能が改善しているんだろうか。そう信じたいとこだが…。
口が気持ち悪いというのと喋ろうにも口が渇いて声が出ないというのもあるんだろう。うがいを手伝って、それから幾つか少
しの氷を含ませてあげながら、色々話をした。
やはり母親や弟のことを、何も知らないからと言ってひどく心配していて、まだやらないといけないことも沢山あるのに…と
そういうことばかり気にしている。そんなことは気にすることないし、気にしないで体を休めるべきだと、色々と話すんだけ
ど、やっぱりなかなか心配は去らないようだ。
余り長い間起こしているのも疲労の原因になりそうなので、1時間程度したところで帰ることにした。
あれだけ痩せてしまったのに、肝不全から来ているんだろう腹水のせいか膨らんでしまった腹部が、やけに頭に残ってしまった。
帰宅途中、余り良くないことがあったりして、気分がひどく落ち込んだ。
色々と忘れたくて、考えたくなくて、ひとり飲んで帰った。心臓は反応してたけど、酔えなかった。
コートのボタンが飛んでしまったこの日、帰宅するとまた宅配便の不在票が届いていた。
何となく眠くて、すぐに起きるつもりで早くにベッドに入ったんだけど、何故かすぐには眠れなかった。
気付くと朝になっていた。どんなのか忘れたけど「夢なら覚めてくれ」というような夢を見ていたことを思い出した。
寒い朝。やることもあるので、もっと眠っていたかったけど起きた。目覚めは良くなかった。
土曜日朝からやることや家事などをしつつ、これを書く。
何とか日記だけアップして、家事や買い物をしてから、昼から癌研に向かう。予定。
肝臓や静脈瘤、癌の情報・
病理学研究室 - 肝臓の講義・
肝機能検査と肝臓病・
肝臓のはたらきと病気について・
5.肝移植の対象となる病気 胆管細胞癌から肝臓に行ってしまった上に、全身はないけど既に肝臓にはあちこち転移しているし…。
ちょっとだけ、家族の肝臓を使って生体部分肝移植を…なんて考えたけど、根治にはならない上に体力的にも…。
もうこうなるとどうにもならないのだろうか。今また新たな奇跡を信じて祈るしかないのだろうか。
それにしても…肝不全だとか静脈瘤だとかの自覚症状なんて、勿論胆管細胞癌もそうだったけど、予めそういう情報を知ら
ないと、そんなの気付くなんて出来ないよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 人間の体って………
・
esophageal varices・
食道静脈瘤について・
食道静脈瘤のある患者さんへの退院指導例・
肝臓がん 将来的には減少・
当科での消化器内視鏡治療の現状 肝硬変ならまだ色々考えられたんだろうけどな…。しかしこうして見ると、本当にどうにもならない…
・
がん治療.com こんなサイトあるの知らなかった。でもイマイチかな…登録はしてないけど…というより、最初からこの癌はどうにもなら
ないと言われていたし、それだけのことなのだが…。今や、それだけですらなくなった
★「ひとつ前に」続く★
2003/12/13 11:01:33 今日の一言: (( 続き1 ))
[第 01664 回]
★続き★
真理 多くの人は理想主義に対してうんざりとし時には反吐が出るといった感情を抱く…ということに、やっと気付いた。
共産主義も然り、平和主義も然り、フリーウェアも然り。完璧主義者にして理想主義者の自分には理解できなかった。
ごく最近になって、漸く気付くことが出来るようになった。気付くことが出来るようになった…だけだが。
それと…もうひとつ。狂気は狂気を制す。そうは思わないか? 思ってしまったら…負けだ。しかし真理かも知れない
無知の罪 世の中には差別が溢れていて、誰も彼もが知らず知らずのうちに誰かを差別している。それは、恐らく自分も。
差別は蔑視だけではなく、「皆はやってるのに何故お前だけやらないんだ、皆が迷惑だろ」とかという発想や態度にも当て
はまる。自分もここ十年程で色々分かるようになって来た部分も多いが、人にはそれぞれ事情があり、それは他人には見え
ないことが往々にしてある。例えば、心身に障害がある場合もそれに当てはまる。得意不得意もある。性格的なものもある。
余りそれを考慮しすぎてしまうと甘やかすということにもなろうが、本来大人にもなればそういったことは分かっているが
出来ないということが当然だろう。そして、そういったことを知らず、そして自分自身にも心の余裕がないと、つい他人に
皆もやってるのに〜のように迫ったりするのだ。
自分自身、以前の職場ではそのような理不尽な目に遭い続けて精神的におかしくなる寸前のまま数年耐えたことがあるが、
その時はそういう風に考える余裕はなかった。たまに理不尽と思うこともあったが、反論したところで言い訳にしか聞こえ
ない。言い訳は嫌だった。或いは、以前骨折して1年近くクラッチ (洋式杖) なしでは町中を歩くことも出来なかったが、
そのような「見える」アイテムを持っていても尚、理解されないばかりか突き飛ばされるようなことすらあった。或いは新
聞の投稿欄などで良く見るのは、エスカレータでの右側/左側通行の暗黙のルールについて、身体上の理由等によりそれを
守れない人もいるというのに、急ぐ人が後ろから偽りの正義を振りかざして怒鳴りつけたりわざと体をぶつけたりしてくる
ことがあるという。極端な例かも知れないが、そういう人もいるということを身に染みて分かっていれば、ちょっとくらい
気持ちに余裕がない時でも、そういう人のことを思いやることが出来るんじゃないだろうか。
最近はそれ以前の人間も多いので、こんなこと理想論なのかもしれないけど、とにかく小さい頃から色んな人がいるってこ
とを身近な素材で理解させるってのは、心の教育としてあるべき姿だと思う。何度も書いてると思うけど、自分の場合は小
学校で精神的に障害のある児童と同じクラスになったことも大きいと思っている。当時のクラスメートも、やはり同じだと
思う。少なくとも、子供はすぐにそういったことに慣れてしまうし、ちょっとくらい大変でも (その子がいつものようにふ
ざけて窓から飛び降りようとしたりすることでも) ちょっとしたイベントや子供同士の遊びと思って (校庭を走り回ってそ
の子を捕まえたりすることも) 楽しんでしまう。身近に感じつつ、楽しみながら、そういった子の存在を日常として受け入
れる。滅多に出来ない貴重な経験だし、出来れば頭の固い大人になる前に経験しておくべきなんだろうと思う。
つまり、知っているか知らないかというのは、重要な要素のひとつだと思う。当然、それが全てではないけれども。
想像力がないと言われることが多い現代人だけど、その想像力も子供の頃のこういった普通の経験が生み出すんだろう…
想起障害・
物忘れと痴呆 何度かここにも書いたように、子供の頃からずっといつも必要な時に必要な記憶が戻らない (親や友人の顔や名前を思い出
せないと言ったことはザラ) という症状に悩まされてきたけど、それって「想起障害」って言うの、初めて知ったよ…。い
つも言葉で説明的に言ってたから、説明が楽になる。…って、障害なのか; で、これ殆ど遺伝的で先天的なんだけど、い
つも注意するように心掛ければ…なんて意見は、殆ど参考にならないんだけどね…
ステロイド・
吉草酸ジフルコルトロン 先日「劇 テクスメテン軟膏」という塗り薬を処方されたので、1% だけ含まれるという主成分 (?) について調べてみた。
ふむぅ。結構強い薬なんだな。でも、「劇」って?
・
Q&A(No1-300) 170 毒薬とは 白地に赤く商品名、そして同じく白地に赤く商品名の前に「劇」の文字。………劇薬/毒薬だったのか、これは……;
・
もぐもぐ共和国 こんなページがあるなんて、全く知らなかった…。しかし、もぐもぐって何なんだ。まあ、それより面白いのは「ステロイ
ド外用剤の皮膚からの部位別吸収量」って奴で、やっぱり顔は吸収しやすいのに手のひらってのは吸収弱いんだなぁとか、
まあその辺は分かってるからいいとして、下顎が結構吸収率高いのはやや驚き。でも陰嚢の吸収の良さは半端じゃない…。
何となくそんな気はするけど、間違って (間違うこともないと思うけど) 最強部類のステロイドなんか塗っちゃったりした
らエライことになりそうな…; 顔ですら気を付けてるのに。でも実際どうなってしまうんだろう…。怖;
SEGA 〜 捨てる神あれば…・
サミー、CSKから株式を取得し、セガの筆頭株主に・
サミー、セガの筆頭株主に〜CSKが保有するセガ株22%強を売却・
セガ,サミーの傘下に。CSKが保有全株式を譲渡・
セガ、ついにサミーの傘下に ちょっと驚き。しかし、やはり総帥亡き後、遂に CSK からも見捨てられたか……。CSK とは長い付き合いだったのになぁ。
それにしても、サミーが筆頭株主になったということは…今後の展開にどんな影響があるのか。ちょっと気になる
フラレナオン祭り・
2003年11月の日記・
神聖モテモテ王国復活?・
motemote・
ながいけん(長井建)閣下 御本人は歴史の闇に葬りたがってるかもしれない ほぼ全仕事リスト・
神聖モテモテ王国のガイドライン・
神聖モテモテ王国主催 【フラレナオン祭り】 な、何と! たまたま偶然に思い出したその日に、復活のコトを知るなんて!! 遂にモモ王が YS で復活?! ふぁー様ー!
てか、編集部に電話までかけて聞いちゃった人、漢だわ………。というか、ソースが 2ch (のキャッシュ) ばっかり…
電話 (固定/携帯/その他) 関連・
電話加入権、廃止の方向 総務省、年明けにも諮問へ・
総務省、“電話加入権”の廃止検討案を情報通信審議会に報告・
総務省が固定電話の施設設置負担金廃止を提案へ 電話加入権をいきなり廃止するとはね。まあ時代の流れだし、今後のことを思えば、いいと思うんだけど。ただ、一応資産の
扱いだったのがいきなり紙同然になってしまうってのは、ちょっとあんまりかな。企業で資産計上しているところも、まあ、
大変かもしれないけど、個人にとっても若干は…。通常の有価証券とは違うから、額面価値と時価との間にどれだけの差異
があるのか分からないし、そもそも時価額なんて算出しうるのかとか、元々目減りするような代物じゃない (同時に上がる
ようなものでもない) だけに、そういったところもどうなるんだろうという感じ。今のところ、自分が1回線分。それから、
弟が休眠状態のを1回線分所有しているけど…
・
あなたは“NTT解約”に踏み切れるか というか、ナンバーポータルな IP 電話等がその実現の為に、電話加入権を必要としているなんて知らなかった。実際 NTT
回線を一切使わないとしても、電話加入権は保有したまま工事費を支払ってまで「利用休止」にして番号を使い回すことに
なる…上、5年後には休止期間を過ぎてしまうので改めて更新手続きをしないと電話番号契約が解除されてしまうという…。
つまり、電話番号は電話加入権とセットという訳か。何という無駄で、面倒な仕組みなんだ…。幾らなんでも不合理過ぎる。
そういう意味でも、いっそのこと加入権なんて廃止してしまった方が良いだろうと思う
・
NTT接続約款から「未確認方式」の表現が正式に削除へ 良く分からないけど、こんな話もあり、
・
TTCスペクトル管理SWG、ADSL上り高速化方式の導入を一旦凍結 そして、一方ではこんな話もあるということだ…
・
Mobile:特集:505iSシリーズ登場・
「Flexスタイル」を解剖する〜開発陣が語る「P505iS」・
NTTドコモ、2G携帯の上位機種「506」開発に着手・
本気のFOMAにBluetoothも搭載?〜ドコモ、立川社長 もうてっきり PDC は 505iS で打ち止めとばっかり思っていたので、驚いた。それにしても次期 FOMA は一体いつ頃ロンチ
するんだろうか。そっちの方がだいぶ気になっているんだけど…
・
骨振動させて通話聞く シニアに優しい携帯電話を発表・
世界初・骨伝導スピーカー搭載の携帯電話 実際こういう技術は大昔からあるようだが、こういう製品を見ると素晴らしいと感じる。実際、耳の遠い人には最適かもし
れない。あとは喋る方も小声とかで通じるようになれば (もっと言えば声を出さなくて良いのがベストだけど…) いいんだ
けどな
・
遡って後から割引〜auパケ割の裏技 au は…ここまでやってちゃんと儲けられてるのかなぁ…と心配になってしまう程。でも、だからこそ、あの NTT DoCoMo を
ここまで追い詰めてるんだろうな。J-Phone 改め Vodafone もかなり頑張ってるとは思うんだけど。DoCoMo が 606 を出す
だなんて姑息なことまでしてユーザを囲い込んでるけど、どこまでそれがもつのかな
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ドコモ、2004年からF1ルノーのスポンサーに・
「iモード」がF1ルノーチームのスポンサーに これはまた…。やっぱりヨーロッパはテコ入れしないとマズイんだろう
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iモード契約者が初の減少・
iモード利用者が初めて減少に転じる と思ってたら、国内でもまたテコ入れが必要なのかな。って、絶対今の DoCoMo 端末って保守的過ぎるんだよな。機能も
価格設定も何もかも。本当の意味での新機能ってどれくらいある? 全くない。あっても真似で市場を奪おうとするだけ。
そして割引サービスなんかもないに等しい。ポイントって何だよ、アレ。意味ない。それからあの「ホントはやるじゃん」
の DoCoMo 料金設定をアピールする TVCM。あれはユーザを馬鹿にしてるのか? ホントかどうかは知らんが、全く何にも
やっちゃいない。au や vodafone に比べて何がいいのさ。あの TVCM にしても他社のと違って、何も具体的にはアピール
してないしね。まあ、具体的にアピールすると、その場で「何もやっちゃいない」ってことばバレちゃうからだろうな。笑。
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ケータイカメラ画質研究ラボ 発色も鮮やかなメガピクセル入門機「V401SH」 というか、携帯のカメラなんだからもうここまで来たら十分なのでは…という気が…。しかし保存時間はひどいもんだな。
まるで出現当初のメガピクセルデジカメを思い出す
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「livedoor SIP フォン」にモバイル端末が登場 利用範囲や状況も限られるだろうし、まだまだ現状では実験段階だろうなあ、こういうのは。面白そうとは思うけど
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[WSJ] Nokia、西欧での優勢に陰り ふぅむ
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Vodafone、携帯“非”対応3Gを欧州で開始 でも実際、期待されるのは通信がまず最初だと思うんだよね。通話だけなら今でも取り敢えず十分なんだし
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女性の3人に1人が携帯電話をのぞき見――米調査 米国らしい調査だな…って、韓国系?
まあ、殿様商売だから…。でもこれからはそうはいかなくなるかな
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「心が一つになった気がする」〜1500人のケータイオーケストラ 様々な意味で凄い…………………けど見てる方は虚しい…
Linux / SCO・
Linuxカーネル2.6移行勧め、2.4は“純メンテナンス”モードへ・
新カーネルへの早期移行を促すLinuxのリーダー 一般的なユーザとビジネスユーザとでは興味関心の向く方向が違うのは当然。各企業はビジネスに利用したいのであれば、
それなりの対価を支払うべきで、それによって旧バージョンの保守をして行かなくてはならない…ということだと思うけど?
2.6 を評価して移行に問題がなければすればいい。それは自己責任。それはまあ、こういったオープンなソフトをビジネス
利用していくと決めた時点で当然考えに入れておくべきこと。そうでなかったら、商用 Unix や Windows なんかを使えばい
い。そういうことなんだと思うけどな。それはともかく、家の Linux 達も上げないといけないかなあ。というか、Debian 君
だから、まだまだ先のことになるかな…。もう Stable (Woody) じゃないリリース (Sarge) に挑戦してるような暇はないから
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XFS が Linux 2.4 に正式収録 おおお、ちょっと驚いたけど、良かった。でも本当に大丈夫なのかな
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連邦裁、SCOに著作権侵害の証拠提出命じる・
SCOに「Linuxによる侵害点」の提示命令・
SCOに証拠提出命令・
SCOマクブライド氏のLinux攻撃、さらに苛烈に・
GPL批判展開したSCO、決算発表を延期 遂に裁判所から…って、紙とは… IBM が怒るのは当然だろう。もういい加減に何とかさっさと決着させられないものか…
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SCOサーバへの攻撃拡大 しかし、これはいけない! こういうことはやってはいけない
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Linuxの上に漂う不確実性という雲 あの IBM が考えたことなのだから相当の深慮を経た結果なのだろうが、確かに難しい…
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Flash for Linux alpha 1 released イマイチサッパリ分からない…
TRON・
ミカン並み「極小」パソコン開発 CPU・OSは純国産・
T-Engine応用製品向けの超小型プロトタイプ「T-Cube(仮称)」の開発に成功〜 超漢字パソコン互換のデスクトップ機を国産CPUで実現 〜・
TRONなキューブは、みかん並み? ちょっとお値段張るけど、個人ユースというよりは業務ユースをまず考えているようだから、いいのかな。でも個人的にも
なかなか面白いと思うし、ひとつくらい手元に欲しいと思ってしまう。この現物見ただけでも、かなり物欲をそそるよなぁ
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東芝とデンソー、トロンとウィンドウズ搭載カーナビ開発 ふむ…。これって、同時に2つの OS によってアプリが動くことになるってことなんだろうか? 切り替えはあり得ない??
…どうやら同時に動くらしい…凄いんだけど、なかなか厳しいことになるかも
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TRONSHOW2004レポート〜極小キューブPCやCEとの複合機を展示・
実用段階にきた「T-Engine」――TRONSHOW2004 という訳で全ての元ネタはコイツらしい。うーん、確かにこうやって並ぶと面白い。ああ、でも、何だか隔世の感が…。
子供の頃に TRON を知って、その後徐々に姿を消し、それでも展示会があって見に行ったりしたっけ。本当に小さい頃。
そして遂に影も形も見なくなって、その後どっかの雑誌に見るようになって、そして遂にここまで来た…。
確かに先日の Microsoft との突然の和解 (??) には驚かされたけど、こうして見ると、それはそれで良かったのかも…
なんて思ってしまうのだった
★「ひとつ前に」続く★
2003/12/13 11:00:14 今日の一言: (( 続き2 ))
[第 01663 回]
2003/12/13 10:56:15 今日の一言: (( 続き3 ))
[第 01662 回]
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